フツーの保育園
夏から初秋にかけて、出張や旅行や、小人を連れて行きすぎたみたいで、小人が保育園行きたくない、とまた、泣くようになってしまった。。
今日は、少し一緒にいたら落ち着くかな、と思い、1時間弱一緒にいてみたのだけど、やっぱり私がちょっと離れると大泣き。
で、いる間、感じたいろいろなこと。
泣いてるのはうちの小人だけでなく、いつも誰かが泣いている状態。
先生たちも基本は手が足りないし、順番だからねー、と泣いていてもある程度放っておいている。
じゃあ先生が手抜きしてるか、というと、もちろんそうではなく、
もう「そういうもの」と割り切るしかないカオスなわけです。
2歳児のクラスなので、けっこう成長に幅があるものの、
誰かとおもちゃを取り合い、誰かが叩き、誰かが泣いて、誰かがよしよししにくる。
メンバーをとっかえひっかえ、それが繰り返し行われている。
誰かが叩くと、もちろん、先生は止めに来るわけだけど、
そのあとには、アンパンマンの紙芝居で、みんなで「アーンパーンチ!」とかやるわけです。
それでさ、自分のおもちゃを取った友達にパンチして、「コラコラ」って怒るのは、、、なんか、それはないなぁ、、って思っちゃった。。
「今日は、なんかみんなちょっと荒れてる感じですねぇ。」
と言うと、
「うーーん、、まぁ、、、でも、いつもこんなもんですよぉ。」
と、ニコニコ笑っておられました。
先生たちは、とても穏やかで、それでいて熱心にがんばってくれていて、本当に感謝ばかりで、何も私に言えることはないのだけど、
それでも、これがフツーの保育園の現状なんだなぁ、、、ということを、少し悲しく思います。
小人も、一時慣れてたと思っても、
それはなんとなく周りに合わせることを覚えただけで、
やっぱり家族といる方が、楽しいんだよね。
保育士やってる鹿児島の友達が、自給900円で、休憩がほとんどなし。って言ってたけど、
ほんと、保育士さんてさ、もっともっと優遇されていいと思う。。。!
それで、もう少し、保育の質を高めてほしい。。!
あと、たとえば、子どもを預けるお父さんお母さんは、交代で、毎月2回、午前中だけでも、保育園で保育士さんにまざって、保育する。
というのはどうだろう。。?
「参観日」のように、会社もちゃんとそれを認めてあげて。
今日、保育園にいるあいだ、小人と一緒に、先生の手が回らず泣いてる子たちもケアしてたんだけど、
こうやって、あと、1人、2人、ちょっと手を貸せる人がいれば、少し落ち着くものなんだもの。
お母さんの方は、何もフルタイムで働かなくても、
あともうちょっとの収入のため、毎日でなく週に3,4日働けばいい。みたいな人もけっこういるんじゃないかな。
それで、みんなで日常的に子どもの成長を見守れて、
子どもが落ち着くようだったら、保育できる子どもの数だって増やせるかもしれない。
未来に、魔法学校 幼児部つくるとしたら、
そういう仕組みにしたいな。
魔女の薬草学
勉強中のハーブ。本3冊分のブレンドをノートにまとめてたら、だいたいの効能が把握でき、ブレンドの要領もなんとなく分かってきた感じが。
そして、勉強しながら、これはこの人に贈りたいなぁ、とたくさんの人の顔が思い浮かんでおります。。◎
自分が授乳中だったり、子どもに飲ますことを考えて、禁忌のところをしっかりチェックしてるのだけど、本によって違うのが気になるところ。
こうなると、より専門書が必要になるのかなぁ。
そういう本は、なんて検索すればいいんだろう。
わたし、よく色んな失敗をするので、医者・看護師だけは絶対になれない、と思っていたけど、
いつかおばあちゃんになったときに、尋ねてくる人に合うお茶見立てて、差し出せるようになりたい。
と、ひそかに思いあたためております。
畑の土からこんにちは
モンテッソーリ教育 体験
京都市で、モンテッソーリ教育を取り入れている幼稚園のプチ親子体験に行ってみました。
教室に入ると、モンテッソーリっぽいおもちゃがズラリ。
小人もそれを見て、着くなり1人でスタスタ歩いていき、遊びはじめた。
モンテッソーリ教育では、子どもが手先を充分に使えるように、様々なおもちゃ(教材)が用意されている。
よく見るのは、あけ移しできる水差し。ボタンをとめる練習をできる布おもちゃ。棒に穴のあいた積み木をいれて遊べるおもちゃなど。
ここでは、さらに、コーヒーミルで、コーヒー豆をひいたり、ハンドシュレッダーで紙をこまかく裁断したり、なるほど、確かにそういうのもあるのか。と勉強になった。
小人は、他のお友達がハサミで紙を切っているのが気になったようで、同じのをとってやり始めた。
はさみがちょっと大きいのと、切りづらいこともあって、変な持ち方になっていたけど、まずは、やってみる気持ちの方を大事にすればいいと思い、見守っていたら、どこからともなく、先生らしき人がやってきて、
「危ない持ち方してるねー。はさみはこうやってやるんだよ。」と、はさみを一緒に持って、全部切り、「切ったらこれにいれようね」と袋に入れ始めた。
このことに、大変な違和感を感じた、わたしたちでございました。
「なんでかな?」と、後々色々考えてみるに、幾つかのことがあげられる。
・まず、小人の挑戦を、すでに失敗とみなしていること。
・マリア・モンテッソーリは、子どもが色々な作業をうまくできるようになるためには、「近くで大人がだまってやってみせてあげるのがいい」と言っているが、この先生は、見本を見せるのではなくて、訂正したこと。
・はじめて参加したのに、ウェルカムの言葉もなく、名前を聞いたりさえしないまま、この行動をされたこと。
・わたしたちにも何も声がけがなかったこと。
などなど、かなぁ。と。
本を呼んでいると、モンテッソーリ教育は、子どもの観察を前提に、大人がその成長をうまく見守り、子どもを邪魔しない形で誘導してあげるのでとても良い印象があるのだけど、前に別のモンテッソーリ教育を取り入れているところに行ったときも同じような違和感を感じた。
そのときは、小人が2つおもちゃを取り出すと、
「一つだしたら、一つは片付けましょうね。」
と、戻されたこと。
そしてそれは、今回も、同じようなことが起きた。そして、わたしは「これはちょっと嫌だな。」ってまた思った。
子どもは、偶然のなかから、色々遊びを見つけていくし、様々な道具や物を、大人が思いもしない使い方をして遊ぶ。多分にわたしは、その創造性を大事にしてあげたい。と思う人間なのだと思う。
お片づけも大事だけど、まだ2歳だもの。それ以上にめいっぱい遊ぶことをさせてあげたい。
シュタイナー教育を取り入れているある園では、子どもは幾つかのおもちゃを組み合わせて新しい遊びを創るので、ある程度おもちゃが散乱するのは見守る、と言っていたけど、そちらの方が、わたしは好きだなぁ。
こうやってひとつひとつのことだけやることが、後々の集中力を養う、ということなんだろうとは思うものの、自分も、全員均一のルールに従うのは、そんなに好きじゃないものだから(w)、やっぱり、こういう「ひとつ正解のやりかたがあって、皆それに揃えていきましょう」的な感じは、なんか合わないのかも。
あと、親子教室だったので、基本、子どもにはそれぞれ親がついて遊んでいるのだけど、子ども同士の交流がほぼ皆無。
小人が隣の子のおもちゃをみて、遊びたくなるのだけど、おもちゃは1人1つと決まっているから、借りたり、一緒に遊ぼう、っていうことができない雰囲気。なので、親同士もあまり交流せず、なんか親子がいっぱい同じ場にはいるけど、それぞれ完全分離していて、ちょっとそれが不自然な感じ。
そのあとには、みんなで唄を歌ったりするんだけど、個と集合の概念も、そんなに時間でくっきり分けるものかなぁ。と、個人的には感じちゃった。
まだあまり交流しない、低月齢の子向けということもあるのだろうけど。
ということで、期待していたモンテッソーリ園ではあったけど、わたしたちにはどうやら合わなかったみたい。
教育というか育児というか、については、もちろんどれも間違ってるとかはなく、なにが自分たちにしっくりくるかどうか、ということなのだけど、本を読んで勉強していても、その教育法を取り入れているところに行ってみると、全然イメージが違っていたりで、こうやって実際に足を運んでみる、ということの重要性をあらためて感じ、勉強になった1日でした。